ツイッターまとめ


「銀河の淵」
 私は銀河の淵に佇んでいる。どれくらいこうして一人でいるのか、もう覚えていない。星たちの誕生と死滅を眺めて永く経つ。星々が煌めいては散っていく様はミラーボールの光のようだ、なんて。そういえば私はミラーボールなんて言葉、どこで知ったのだろう? そもそもミラーボールというものがなんなのかわからなかった。けれど確かに、あの輝きのようだなと思った。こういった思考はよくあることだった。明瞭に思い出せないものの名前だけが浮かび、それはなんだったかと思案するけれど、正解が思い浮かんだことは一度もない。擦り切れた記憶の破片なのだろうか。わからないことがたくさんあった。自分が何者であるのかも、何故ここにいるのかも。なにもわからないけれど、それに不安や恐怖を覚えたことはなかった。そういった感情も希薄になっているのかもしれない。けれどひとつだけ覚えている。私はこの星の揺り籠と墓場で、ずっとなにかを待っていた。


 

 

「白妙の金魚」
 その人の頭上にはいつも真っ白な金魚が漂っていた。その金魚が見えるのはどうやら僕だけのようだったし、頭の上に金魚が居る人間はその人だけだった。僕らと同じように陸上にいるのだからきっと普通の金魚ではないだろう。そのうえとびきり綺麗な金魚だった。ふよふよと空気中を泳いでは透けるように白く美しい尾鰭がその人の髪を撫でてゆく様は、うまく言葉では表せないほど優美だった。背鰭を揺らしながらその人の足元から頭の先までを駆け上がるように泳いで昇るのを眺めるのが好きだった。その人のことはよく知らなかったが、その人の金魚のことは目で追わずにはいられなかった。ところがある日突然、その金魚は赤くなった。鰭の形からして同じ金魚だろう、しかし色だけが変わり果ててしまった。噂で、その人に恋人ができたのだと聞いた。僕はもう、雪のように白くて艶やかなあの金魚を見ることはないのだろう。綺麗な朱を見ながら、それを寂しく思う。

 

「人魚姫にはなれなかった」
 人魚を飼っていたことがある。知り合いからペットを預かって欲しいと連絡があり教えられた住所に赴くと、古いアパートの浴室に人魚がいた。金糸の髪が美しい、けれど酷く怯えた顔をした女の人魚だった。慌てて知り合いに連絡するが、もう電話は繋がらない。仕方なく世話をすることにした。自宅から古アパートの浴室に通い食べ物を与え、浴室は汚かったので掃除もした。毎日通うと日増しに人魚が懐き、触れるようになった。人魚は笑うと可愛らしかった。ある日人魚に問われた。「わたしをたべる?」人魚が話せると知らなかったため酷く動揺した。それでも「こんなに可愛いのに、食べられないよ」と返すと、人魚は哀しそうに笑った。次の日アパートに向かうと部屋に新しい入居者がいた。人魚のことを尋ねると不審な目で警察を呼ばれたので逃げるように引き返した。全て夢だったのかもしれないが、人魚を撫でてやったときの鱗の感触を未だに鮮明に覚えている。

 

「真夜中よりも暗いもの」
 深夜に散歩に行くのが日課だ。九月にもなると昼の太陽の光が無いこの時間はだいぶ快適に感じられた。散歩といっても特に目的地があるわけではない。家の近所をぐるぐる五周ばかりするのが僕のルーチンだった。田舎ゆえに街灯も少なく、電柱の灯りも明滅しているものが多い。一見すると不気味に思えるこの光景が僕は好きだ。昼に見る景色ががらりと表情を変えて、僕を嘲笑っているかのような恐ろしさにひどく心惹かれていた。けれど僕がこの時間に散歩する理由はそれだけじゃない。街路灯の下や道路の端に目を凝らすと、「それ」がうごうごと息づいているのが見えるからだ。「それ」がなんなのか僕にはわからない。それでも夜の闇よりももっと深い「それ」は、確かに生きている。よくわからないものがここに存在しているという事実が僕を高揚させた。僕は「それ」を遠目で見て、「それ」も僕を見澄ましている。真夜中よりも暗いものに、僕は魅せられている。


「満天、とどいて」
 ある曇り空の晩にベランダから空を見上げると、天から地面に向かって階段が延びてくるところを目撃してしまった地上のどこに降りているのか気になって身を乗り出して見てみると、一番下の段は隣の公園にあった。思わず家を飛び出してそこに向かう。砂場の真ん中から半透明の板のようなものが階段状に天まで並んでいた。おそるおそる右足を載せる。次の段に左足。数回繰り返す。そのまま空に昇っていけることがわかった。とんとんとテンポよく透けた板を上っていく。わたしの家の屋根を通り越し、学校の屋上より高くなり、そうしてテレビ塔の天辺すら小さく見えるようになった。途中で雲が邪魔になったので思い切り息を吐くと、周囲の暗雲がきらきらと散って天下に消えていく。足元に視線を向けると、家々の灯りが大地の星々となって煌めいていた。下から見ればこちらも晴天だろうか。天上のわたしから地上のあの子に、この満天の空が届けばいいなと思う。


「あいのすがた」
 祖父と二人で暮らしていたことがある。両親はあまり良い親といえる人たちではなく、それが公の機関の目に留まり二人から引き離され祖父と生活を共にし始めた。六歳だった。昔の俺は祖父のことが好きではなかった。ひどく寡黙でいつも眉間に皺を寄せていて、岩みたいな人だと思っていた。ひとつだけ、祖父との会話を覚えている。何故そんな話になったかは定かでないが、縁側で猫を抱いて祖父が言った。「愛ってのはそこに在ればいいわけじゃない」難しい話だった。「お前に与えられる愛がどんな形なのか知っているべきだ。愛に限った話じゃないが、人に与えられた感情は自分を写すから」よくわからなかったが、わからないなりに言葉を紡いだ。「それじゃあ、じいちゃんの愛はどんな形?」祖父は俺に一瞥もくれず猫を撫でて答えた。「たくさんあるが、ひとつはお前と同じ姿だ」数ヶ月後に祖父は死んだ。大人になって、俺の愛も彼の姿をしているのだと識った。


「静かな月の晩」
 虫の声すら無い静かな夜に女が訪ねてきた。「隣に引っ越してきた者です」こんな遅くに挨拶なんか来るなよ、と眉を顰めると「先ほど着いたばかりなので」と女が微笑んだ。「私は罪人ですが、隣の方のご迷惑になることはないでしょう」罪人、という聞きなれない単語に警戒を強める。犯罪者か、それとも前科者ということか?「こちらの地では歌は法に触れないのでしょう? 私の故郷では禁じられていたのですがどうしても口ずさむことをやめられず……。ですから私は流されて来たのです」どうぞよろしく、と女は頭を下げた。流されたというのは流罪のことだろうか。しかし歌が禁止なんて、この女は一体どこから来たというのだ? ますます神経を尖らせると、女は瞳を伏せた。睫毛がきらきらと光を帯びている。女は頭上に腕を伸ばすと、天を指差した。「私はあちらから参りました」女が示す先、不気味なほどの白い月が奇妙な静寂の中で、煌々と光を放っている。


「夏を待っている」
 僕の家の裏にある神社には、夏の神様が住んでいる。本当に神様かどうかはわからないけれど、夏の間しか生きていないから、僕はそう呼んでいる。前に友達や家族に神様のことを話したら嘘つき扱いされたから、きっと僕にしか見えていないのだと思う。神様は大人の姿で、テレビの歴史番組で見るような服装をしている。男か女かはよくわからない。どちらと言われても信じられる顔立ちと体つきと声をしていたし、性別なんてどうでもいいくらいとびきり綺麗だった。神様は毎年梅雨が終わる頃に境内に現れる。だいたい御神木の枝に登っていて、青々とした葉をゆらす夏風を気持ちよさそうに頬に受けていた。やがて夏も盛りを迎える頃には、僕には耐えられないような強い日差しを愛おしそうに見つめている。そして九月の終わり頃になると、賽銭箱に身を預けてぐったりと座っているようになるのだ。僕は毎年その頃に一度だけ神様に会いに行く。本当は真夏に会いたいけれど、暑い日に一人で外に出るのは心配性の母さんが良い顔をしないからだ。すっかり身体の力が抜けきったような神様と顔を合わせると、神様は「お前か」と笑う。「一年ぶりだな」と言ったその顔は血の気がなくて真っ白だった。
「そろそろ消えるよ」
 神様が僕の頭を撫でる手はぼろぼろと崩れ始めていた。
「また、来年」
 なんとか震える声で僕が言うと、神様はにっこり笑った。次の日には神様はいなくなっていた。秋風に吹かれながら、僕はまた次の夏を待ちわびている。


「大海、深さ数センチ」
 博物館の前の道にできる水溜りは、稀に海へと接続する。その通りは最近舗装し直されたばかりで、一見すると水溜りなど出来そうにないほど平らだが、博物館入口の脇にある電柱下、少し窪んでいる一ヶ所にだけ雨が降ると水が溜まるのだ。数ヶ月前の雨上がりにそこを通りかかった際、なんとなくその水溜りを覗き込んだら、鯨がいた。最初は目の錯覚だと思ったが、水溜りの中の鯨は何度見ても悠々と泳いでいる。おそるおそる水溜りに手を入れてみると、どう見ても数センチの深さしかないはずのそこは、二の腕あたりまで腕を沈めても底に届かなかった。水面から引き抜いた自分の腕からは潮の香りがした。また別の日の雨後にそこを覗くと、それは普通の水溜りだった。何度かそれを繰り返し、十数回に一回ほど海へと繋がるのだと気付いた。今日はイルカの群れがどこかを目指し海中を駆けているのが見える。深さ数センチのはずのそこから、美しい青が広がっている。


「けむりのくらげ」
 おばあちゃんが煙草を吸うときに吐く煙は、クラゲの姿になって宙を漂う。わたしが知る限りでは彼女にしか出来ないことだった。赤いマニキュアに彩られたしわくちゃの指で缶から煙草を取り出しマッチで火をつけ、爪と同じ色に塗られた唇からはあと吐き出された紫煙は、まるまるとした塊になり細く白い足を生やし、彼女の周りを気持ち良さそうに泳いでは消えていった。そうしてクラゲたちを従えているおばあちゃんを、世界で一番格好良いと思っていた。「おばあちゃんのクラゲさんはどうやってつくるの?」今よりずっと小さい頃にわたしがそう尋ねると、彼女は「さあねえ。こいつらはアタシのことが好きだからさ。昔っから勝手についてくるのよ」と唇の片端を上げて笑った。弧を描く紅い唇に憧れていた。彼女は最期に海難事故で亡くなり、死体は陸に上がらなかった。おばあちゃんのことを好きなクラゲたちが、今度は海で彼女と一緒にいてくれたらと願っている。